子供の頃の話。
引越しをしました。
転居先は中古の戸建で古い建物でしたがしっかりとした躯体で作りも大きく、頼もしさを感じられる家でした。
新しい家は部屋数も多く、念願の子供部屋をあてがわれ生まれて初めて手に入れた自分の部屋に喜々としていたことを覚えています。
引越し前は狭いスペースに家族全員寄り添うように川の字で寝ていたのが、自分の部屋の広々したベッドで寝ていると何とも言えない優越感のような、自分が大人になったような気がしたものです。
子供部屋は2階に用意され、隣には妹の部屋もありました。
2階には3つ部屋があり子供部屋に2部屋、残りの部屋は引越し直後の整理しきれない荷物が雑然と置かれ納戸のように使われていました。
当然ながら自分の部屋を持つと夜も自室で一人寝ることになります。
ある夜のこと、隣の部屋にいる妹が私の部屋に来て不安を口にしました。
それは部屋の中に誰かがいるような気がするというもの。
誰かに見られているのか、気配があるのか、足音がするのか、はっきりしませんが何かを感じていたらしいのです。
この時は気のせいだろうと気にもしなかったのですが、何日かすると自分の部屋でも妙な気配を感じるようになります。
妹と二人でこれはおかしいと思案していると納戸として使っていた部屋から微かな物音が聞こえてくるではありませんか。
それは何かが擦れるようなあるいは何かの声のような判然としないながらも、とにかく何者かの存在をイメージさせる気配でした。
暗がりに浮かぶ納戸の扉を前にそれが何者かを確かめる勇気もなく、立ちすくみながら静かに納戸の気配に耳をそばだてていましたが、突然妹が大きな声を出します。
それはただの悲鳴だったのか「怖い」という言葉だったのか、はっきり聞き取ることが出来ない声を発しながら半べそで両親のいる下の階に逃げて行くではありませんか。
ただでさえ怖気づいている状況で、妹の突然の逃亡にすっかり戦意を喪失し一目散にその場から逃げだしました。
今思うと階段を落ちなかったことは幸いです。
子どもたちのただならぬ行動にリビングでくつろいでいた父も驚いた様子でした。
暫く私たちの話を聞いた父はおもむろに立ち上がり、2階に上がります。
子どもたちも恐る恐る後を追いますが、父がいるという安心感からか若干強気の風です。
父は例の扉の前に立ち真剣な表情で何かを探るように扉に耳をつけ、部屋の周りを慎重に調べているような素振りです。
後ろで不安そうに見守る子供たちに父は振り返りこう言いました。
「今からこの扉を開けるよ。」
「何が出てきても、何がいても決して怖がらないんだよ。」
「だってこの家はもうみんなの家なんだからね。」
そう言うと父は部屋の扉を開けました。
明かりもついていない部屋はただ暗く、カビ臭いような湿った空気が漂います。
父は静かに部屋の奥へ進み、電灯をつけました。
明るく照らされた部屋には片付けの終わらない段ボールやら衣装ケースが山積みになっているだけで、別段変わった様子もありません。
兄妹を怯えさせた音の主も見つかりませんでした。
「こっちに来てごらん。」
と父に誘われ、恐る恐る部屋に入ると二人の子供の肩をギュッと握りながら父が大声で言いました。
「ここは俺たちの家だー!お化けはさっさと出て行けぇー!」
その声のデカさにビックリしましたが、不思議なものでそれから奇妙な物音はしなくなったのです。
というか初めからそんな音は無かったんでしょうね。
オマジナイみたいな大声のお祓いでも子供は安心して不思議な物音も聞こえなくなったのでしょう。
これは子どもの頃の忘れかけていた話ですが、突然思い出したのにはわけがあります。
引越し直後、我が家でも似たようなことが起こったのです。
部屋で寝ていた子供が夜中に突然泣き出すということが数日続きました。
引越しというイベントは小さな子供には少なからず負担になるのでしょう。
住環境の変化によって不安な気持ちになり、それが原因でストレスが溜まったのですね。
私も父と同じように暗がりに向かって大声でオマジナイを唱えました。
「お化けは出て行けぇー!」と。
謎の物音事件について、私が大人になってから父に聞いた後日談があります。
あの時の音は、本当は心霊現象的な何かじゃないのかと聞いてみたのですが、父はこんな言葉を言い放ちました。
「心霊だか妖怪だかそんなことは知らん!」
「何十年もローンを組んで買った家にお化けなんかいたら叩き出してやるわ!」
この時の父の言葉、実際に住宅ローンを背負った今だからこそ良くわかります。
住宅ローンを背負うと心霊もお化けも妖怪も知ったこっちゃないですし、やっと手に入れたマイホームにケチが付いちゃ堪りません。
ある意味、世の中のほんとうに怖いものは住宅ローンなのかもしれないですね。